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2019年11月03日 (日) 14:30:00

先週の読書は経済書から文庫本の小説まで大量に読んで計8冊!!!

先週は、昨日に米国雇用統計が割り込んで、読書日が1日多かったことに加えて、割とボリューム的に軽めの本が多く、結局、8冊の読書になりました。先々週や先週からの反動増という側面もあります。逆に、今週の読書は3連休でありながら、かなり水準の高い経済学の教科書『MMT現代貨幣理論』を借りたこともあって、冊数的には少しペースダウンするかもしれません。

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まず、嶋中雄二ほか[編著]『2050年の経済覇権』(日本経済新聞出版社) です。著者は、三和総研からUFJ総研、さらに、現在は三菱UFJモルガンスタンレー証券の景気循環研究所の所長であり、私の所属学会のひとつである景気循環学会の副会長でもあります。本書においても、景気循環研究所のメンバーが分担執筆しているようです。ということで、副題の「コンドラチェフ・サイクルで読み解く大国の興亡」に見られるように、バンドパス・フィルターを駆使してunivariate に設備投資のGDP比などから長期波動であるコンドラチェフ・サイクルを抽出し、2050年くらいまでの経済的な循環をひも解いています。最初の第1章と第2章でコンドラチェフ・サイクルの解説などがあり、その後、実際に、第3章では軍事と科学技術から、第4章では人口動態から、第5章では国際収支から、第6章では相対価格から、第7書の大トリでは各種指標のGDPから、それぞれ、おおむね、産業革命以後2050年くらいまでの長期波動の抽出が試みられています。もちろん、過去の同様の研究成果であるロストウの結論を再検討しているように、本書の結論も新たなデータが付加されるに従って、それなりの修正が施される可能性は大いにありますが、超長期の経済サイクル、というか、経済だけでなく、その昔の総合国力的なサイクルの抽出が示されているのは、極めて興味深いと私は受け止めています。私が知る限りで、2050年までを見通した経済予測は、本書でも取り上げられている通り、アジア開発銀行(ADB)の Asia 2050: Realizing the Asian Century と経済協力開発機構(OECD)の Looking to 2060: Long-term global growth prospects があり、特に後者はこのブログの2012年11月13日付けで取り上げていたりします。もちろん、ほかにも投資銀行などの金融機関やシンクタンク、あるいは、個人の研究者などが長期見通しを明らかにしています。そういった中で、本書の特徴は、生産関数などに特段の前提を置かずに、バンドパス・フィルターを用いて univariate にそれぞれの指標を引き延ばしている点であり、逆に、それが弱点と見なす向きもあるかもしれませんが、超長期見通しに取り組むんですから、これくらいのモデルの特定化は私は受け入れるべきだと考えています。ですから、抽出されたサイクルに、表現は悪いかもしれませんが、後付けで理由が添えられていたりします。2050年の世界経済、あるいは、経済覇権なんて、蓋然性に対する評価は私のは出来ようはずもなく、今年3月に60歳の定年退職を迎え、すでに61歳の誕生日も過ぎている身としては、2050年には90歳を超えるわけですから、我と我が身で2050年の世界経済を見届けることはムリそうな気もします。それでも、こういった大胆な超長期見通しの有用性や有益性は、決して、小さいわけではないと考えています。

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次に、大海渡桂子『日本の東南アジア援助政策』(慶應義塾大学出版会) です。著者は、世銀やその昔の海外経済協力基金(OECF、今は経済協力機構=JICAに統合)などで開発金融の実務の経験ある方のようで、すでにリタイアしているのではないかと思います。私はジャカルタにてJICA長期専門家として経済モデル分析の技術協力に携わって来ましたし、それなりの実務経験もありますので、専門分野にも近く興味を持って読みました。ただ、出版社から想像されるような専門書や、ましてや学術書ではありません。残念ながら、その域には達していないといわざるを得ません。ただ、日本の経済協力の歴史を概観するものとして、大学生くらいを対象にする読み物としてはいいんではないか、という気もします。ということで、日本の海外経済協力=ODAの4つの特徴、すなわち、アジア、インフラ、タイド、円借款が、歴史的にいかにして形成されて来たかについてひも解いています。米軍占領下で外交主権を持たず、また、その後のサンフランスシコ平和条約締結後も東西対立の冷戦という世界情勢の下、対米従属下で援助をはじめとする外交政策の策定や遂行を行ってきた我が国としては、ほかに選択の余地もなかった、ということなのかもしれません。特に、「国際収支の天井」と称されたブレトン・ウッズ体制下の外貨制約の下で、希少なドルを外国に支払うことを回避して資本財や役務での賠償支払いに持って行った外交努力は特筆すべきものがあります。その流れでタイドの円借款になったのは経路依存的なODAでは、ある意味で、必然だったかもしれません。地域的な特色として、米国やカナダの北米が中南米に、欧州がアフリカに、そして、我が国がアジアに援助の対象を広げるというのも、とても自然であることはいうまでもありません。大陸にける中華人民共和国という共産主義国家の建国と朝鮮戦争における参戦を経て、中国という資源供給元かつ製品輸出先を失い、東南アジアにその代替的な役割を求めたのも自然な流れといえます。ただ、日本の援助政策はあまりにも経済に偏っており、米国的な人権外交のような民主主義的改革の徹底という面を欠き、東南アジア各国が開発独裁に陥った責任は本書では分析することを回避しており、少しその面で物足りない気がします。また、著者の上げる日本の援助政策の4つの特徴は、我が国経済政策の基となる家族観である長期雇用下での年功賃金を受け取る男親方働き+専業主婦+子供2人、という、いわゆる「モデル家計」のように、今では、決して、アジア、インフラ、タイド、円借款の4点セットを反映する代表的な援助は多くはない一方で、日本の援助政策を考える上では基本となると私は考えており、少数派になったからといって軽視すべきではないと考えます。

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次に、室脇慶彦『IT負債』(日経BP社) です。著者は、野村総研のコンサルタントであり、本書でも明らかにしているように、従来は基幹系システムについてモノリスなウォーターフォール型のシステム開発を推奨していたようなんですが、本書では、2025年のレガシー・システム問題に米国流のマイクロサービスによる基幹系システム再構築で対応すべき、との議論を展開しています。これですべてを理解した人は、おそらく、本書を読む必要すらないような気がしますが、一応、本書の概要と私の感想を記しておきたいと思います。ということで、IT分野では何によらず我が国産業界の遅れが目立つんですが、本書は、DX=デジタルトランスフォーメーション、すなわち、企業がIT技術を駆使して、企業活動のスコープや業績を画期的に改善ないし変化させる、というDXについての概要解説書であり、特に日本企業の遅れを鋭く指摘しています。私には技術的な解説や方向性については、おそらく半分も理解できなかった気がしますが、その昔のように、給与計算とか一定のデータベース管理にとどまるのではなく、企業経営に通信とデータ解析を大いに盛り込むことは必要であることはいうまでもありません。直感的な感覚で勝負していたスポーツ分野、例えば、野球でもサイバー・メトリクスが活用されたマネー・ボールになりつつありますし、米国で盛んなバスケットボールやアメリカン・フットボールなどはデータも豊富に提供されています。ただ、我が国企業経営の場合、とかくハードウェアに目が行きがちで、その昔は立派なメインフレーム・コンピュータを購入して据え付ければOK,というカンジで、いまでも、従業員の席上にPCを1人1台並べればOK、という気もします。従業員は、例えば、ネット・ショッピングに興じていたりしても外観上は判りはしません。ですから、むしろ、データやソフトウェアの活用が重要となるんですが、外観上の明確な変化がない上に、日本的に年齢のいった経営者に理解されにくいのも事実です。本書では、ウォーターフォール型でモノリス的な一枚岩の技術利用から、クラウド型のマイクロサービスへの切り替えを提唱していますが、国家の発展段階と同じで、企業の発展段階においてもリープ・フロッグ型の成長が成り立つような気がします。すなわち、本書のタイトルである「IT負債」はそれなりの歴史ある企業に蓄積されていて、スタートアップ企業には夫妻がない分、いきなりマイクロサービスを導入することが出来そうな気もします。ですから、システム利用技術の面だけでなく、企業文化の若返りの面からも技術利用が進む必要あるんではないか、と詳しくない私なんぞは思ってしまいます。ハッキリいって、本書を読んで目覚めた技術者は、本書を読まなくても理解が進んでいるんでしょうから、アタマの堅い上司の説得に本書は利用されるんではないか、という気もします。

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次に、パブロ・セルヴィーニュ & ラファエル・スティーヴンス『崩壊学』(草思社) です。著者2人はフランス人ということで、崩壊学や移行過程に関する専門家、また、環境分野に詳しい印象ですが、私にはよく判りません。フランス語の原題は Comment tout peut s'effondrer であり、2015年の出版です。ということで、基本はエネルギー問題におけるローマ・クラブ的なメドウズらによる『成長の限界』のラインに乗りつつ、それをさらに進めて、現在の経済はもはやサステイナブルな軌道を外れており、後は崩壊が待ち受けるのみ、という極めて悲観的な結論を提示しています。本書は3部構成となっており、第1部では崩壊のきざしを論じており、ロック・イン現象が働いて軌道修正が困難となった現状を詳細に展開しています。異常気象はいうまでもなく、ピークオイルからエネルギーの枯渇というローマ・クラブの伝統に根ざす議論、まだまだ現役のマルサス的な人口問題、生物多様性の喪失、さらに、経済分野では金融危機の多発まで、これでもかというくらいの崩壊への兆しが列挙され、私のような楽観バイアスの塊の人間ですら不安を覚えます。ただ、第2部に入って、その崩壊がいつぬかるのか、というトピックに移ると、未来学の難しさなるテーマが冒頭に来て、議論が極めてあいまいになり、一気に崩壊に向かう歴史的確実性に対する信頼性が落ちてしまいます。第3部では本書の基礎をなしている「崩壊学」が取り上げられています。私が読んだ限りですし、私が読み切れなかった部分もあるかもしれないんですが、本書の結論は、繰り返しになりますが、もはやサステイナブルな軌道に戻るすべはなく、ハッキリとは書かれていないものの、「何をしてもムダ」であり、人類文明の崩壊を避けることはできない、ということのような気がします。ただ、それはいつのことなのかは判らない、ということです。ですから、この核戦争バージョンが『渚にて』なわけで、いろいろな人生模様が盛り込まれていましたが、まあ、人生最後の日が近づく中で、もう助からないとすれば自分の好きなことをしたり、最悪、自暴自棄になる人もいれば、逆に、今までと同じ人生の日々を送ろうとする人もいるわけで、やっかいなのは、これも繰り返しになりますが、その人生最後の日がいつになるかが判らない点です。地球最後の日が数年以内であればともかく、数百年後で人類の寿命というタイムスパンで考えれば、まだまだ先、ということであれば、大きな差があります。私はそれなりにまじめに読んだつもりですが、地球は崩壊する、必ず崩壊するが、それがいつになるかは判らない、といわれれば、それは地球は崩壊しない、といわれているのと同じと受け止める人は少なくないような気がします。

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次に、ヤシャ・モンク『民主主義を救え!』(岩波書店) です。著者は、ポーランド人の両親を持ちドイツで生まれ育ち,英国で学位を取得し、現在は米国ジョンズ・ホプキンス大学の研究者です。現在の先進国の政治経済状況について、リベラルと非リベラル、そして、民主主義と非民主主義のそれぞれの二分法の観点から分析し、米国と欧州各国におけるポピュリズムの台頭などのポスト・トゥルースの現状について議論を展開しています。著者は、基本的に、私と同じでリベラルかつ民主主義的な方向を支持しているわけですが、欧州各国やトランプ大統領当選後の米国ではそうなっていないわけで、政治状況とともに経済についても分析を加えようと試みています。ただし、後者の経済分析についてはかなりお粗末といわざるを得ません。3部構成を取っており、第1部ではリベラル・デモクラシーの危機を論じ、第2部でその危機の起源を探り、最後の第3部で対処方針を考察します。第1部の危機に関する現状認識は私もかなりの程度に共有します。ただ、第2部のその起源に関しては、確かに、インターネット上にて無料で提供されるソーシャルメディアなども重要で、いわゆるエコーチェンバーやフィルターバブルを否定するものではありませんが、もっと大きなコンテクストで世界的な冷戦終了に伴い、資本のサイドで何はばかることなく露骨な利益追求がまかり通るようになった点は忘れるべきではありません。ソ連や東欧については、マルクス主義本来の社会主義ではなく、私も少し馬鹿げた社会実験だと思わないでもなかったんですが、今にして考えれば、それなりに資本のサイドへのプレッシャーになっていた可能性は否定すべくもありません。従って、なりふり構わない資本から労働サイドへの露骨な利潤追求のために賃金は上がらず、失業はヤル気や能力の欠如による「自己責任」とされ、生活水準は上がらず経済が停滞する結果をもたらしました。その経済の停滞を移民などの対外要因に責任転嫁し、ナショナリスティックな排外主義に転じたプロパガンダに絡め取られたわけです。本書ではまったむ取り上げられていませんが、自由貿易協定に反対して雇用を守ろうとする労働組合が米国大統領選でトランプ支持に回ったのが典型だと私は考えています。従って、解決策を探る第3部で冒頭に課税が上げられているのは、私も極めて同感なんですが、現実性を問われることになりかねません。そして、著者の説では、生産性を高めて、カギカッコ付きの「現代的」な福祉国家の方向を模索するのは、ほぼほぼ資本のサイドの攻勢に流され切った対処方針といわざるを得ません。せめて、右派と左派で合意可能なユニバーサルなベーシックインカムくらいの知恵がひねり出せないものかと、少し情けなく思えるくらいです。緊縮財政に戻ることなく国民サイドの見方に立った財政政策の実現など、現状でも取りえる政策の選択肢にはまだまだ広がりあるにもかかわらず、やや視野狭窄に陥っているのではないか、とすら思えてしまいます。

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次に、深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房) です。私はこの作者については前作の『戦場のコックたち』しか読んでいませんが、両作品とも直木賞候補に上げられており、それなりの水準の小説だということは十分理解しているつもりです。『戦場のコックたち』はドイツ占領下のフランスに侵攻した連合国部隊の特技兵、すなわち、タイトル通りのコックを主人公とし、本書でも第2次大戦直後のベルリンの米軍レストランで働くドイツ人少女を主人公に据えています。この少女の一家はナチではなかったため戦争中は恵まれない生活を送っていたんですが、戦後に価値観が一気に反転した上に英語ができる少女は勤め先があり、米軍からの物資も入手可能となっています。そして、恵まれなかった戦争中に恩になった音楽家が米国製の歯磨きチューブに入った青酸カリで毒殺されるという不可解な殺人事件が発生し、ソ連情報部の将校から命じられ、被害者の甥を探して思わぬ仲間とともにベルリン均衡を旅します。時はまさにポツダムで連合国のビッグスリーが会談を持ち、日本に対する降伏勧告のポツダム宣言を議論しようとしており、地理的にはまさにそのあたりです。米英仏ソの4か国が共同統治しながらも、すでに冷戦が始まっているベルリンにおいて、ゲットーから帰還したユダヤ人も入り混じって、もちろん、圧倒的な連合国の権力と物資不足と闘いながら、少女は最後に殺人事件の被害者である音楽家の甥にたどり着きます。もっとも、距離的にもベルリン均衡出隅、かつ、時間的にもわずかに2~3日のストーリーですが、本編とは別建ての「幕間」によって、主人公の幼いころにさかのぼった事実関係が解き明かされ、最後に、驚愕の殺人事件の真相が明らかにされます。繰り返しになりますが、私はこの作者の作品は『戦場のコックたち』と本書しか読んでいませんが、人物造形、というか、キャラの設定が非常に素晴らしく、また、終戦直後という異常な社会的背景、例えば、善と悪、真実と虚偽、の単純な二分法では計り知れないグレーな部分の描き方も、こういった実体験ない世代の私なんぞにも実に理解しやすくなっています。フィクションの小説であることはもちろんですが、戦時下で、とても非合理的な体験が、日本だけでなく、ドイツという敗戦国にもあったのだと実感できます。ミステリとしての謎解きは、前作の『戦場のコックたち』に及ばない気がしますが、作品としての広がりは本作の方が上かもしれません。まあ、連作短編と長編の違いも感じられます。本書は今年の本屋大賞で3位に入りましたが、1位の大賞に輝いた『そして、バトンは渡された』はすでに借りてありますので、これはこれで楽しみです。

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次に、門井慶喜『定価のない本』(東京創元社) です。著者は50歳を前に脂の乗り切ったエンタメ作家の境地に入った、と私は考えています。もっとも、私自身は不勉強にして。この作者の作品は、直木賞受賞作の『銀河鉄道の父』すら未読で、『家康、江戸を建てる』しか読んでいませんので、この作品が2作目だったりします。ということで、舞台は東京の古書街である神田神保町、時代は終戦からちょうど1年目の1946年8月15日の殺人事件から始まります。というか、主人公の弟分のような古書店主が古書の山に押し潰されて圧死し、さらに、その妻が首吊り自殺をしたように見せかけて殺されてしまいます。基本は、これらの殺人事件をGHQの指令下で主人公が解決に当たる、ということになります。死んだ2人の夫婦の謎解きについては、まあ、何といいましょうかで、本格ミステリとはほど遠いんですが、逆に、GHQとの関係、特に、「ダスト・クリーナー作戦」という「大きな物語」には、思わず、天を仰ぎました。できの悪いネトウヨの世迷い言のようなお粗末な大作戦です。確かに、ホームズのシリーズでも「ブルースパーティントン設計書」のような天下国家の大きな物語もありますし、ミステリに、というか、できの悪いミステリに天下国家を持ち込むこと自体については、決して悪いとはいいませんが、それにしても出来が悪いです。結末についても、極めてお粗末にGHQが完敗するというナショナリスティックな傾向を示しています。タイトルの「定価のない本」とは、定価が帯や表紙などに示された新刊本ならざる古本のことなんですが、その中でも、古典の典籍に歴史を見るというのもやや視野狭窄な気がします。古本ですから、徳富蘇峰や太宰治をチョイ役で登場させるのも悪くはないんですが、古書店主のキャラ設定が少しあいまいで、見分けがつきにくいというのがありますし、まあ、何につけ出来の悪い小説を選んでしまったと悔やんでいます。この作者の作品は数も多いだけに、もっとしっかりした下調べ、というか、世間の評価をちゃんと確認した上でチョイスしないといけない、すなわち、やや出来の良し悪しがハッキリするおそれがあると考えざるを得ません。本書の前に取り上げた『ベルリンは晴れているか』は、若いころに住んでいた経験があるのでそれなりに馴染みあるながら、今の住まいからはかなり遠い図書館まで自転車を飛ばして借りに行ったんですが、その甲斐はありました。でも、本書は駅前にあるすぐ近くの図書館で借りたものの、やや読み応えに欠けるものでした。とっても残念です。

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最後に、ロバート・ポビ『マンハッタンの狙撃手』(ハヤカワ文庫NV) です。著者は、それなりの年齢に見えますが、本書は初の邦訳小説であり、テイストとしてはジェフリー・ディーヴァーのようなミステリ、すなわち、本格的な謎解きというよりも、サスペンスフルでアクションたっぷりのいかにも米国的な暴力満点の事件を特殊技能持つ主人公が解決する、という小説です。英語の原題は City of Windows であり、今年2019年の出版です。ということで、米国ニューヨークはマンハッタンで、まあ、日本人しか判らないかもしれませんが、ゴルゴ13並みの凄腕の狙撃犯が大口径ライフルで連続殺人事件を起こし、主人公である元FBI捜査官のコロンビア大学教授ルーカスが事件解決に当たる、というストーリーで、この主人公のルーカスが信じられないような空間把握能力を持っており、例えば、走るトラムに乗車中の人物が狙撃された最初の事件で、狙撃地点を正確に特定したりします。ちょっと、東野圭吾の『ラプラスの魔女』を思わせる特殊能力だったりします。繰り返しになりますが、舞台はニューヨークのマンハッタンであり、クリスマス直前の12月中下旬に時間が発生します。私は同じ時期のワシントンDCを訪れた経験がありますが、12月の米国東海岸の寒さは東京の比ではありません。もちろん、雪が積もることもありますし、そうなると路面は凍結します。私は米国連邦準備制度理事会(FED)のリサーチアシスタントをしていたころ、ワシントン市内からジョージタウン北方のダンバートン・オークス公園や米国副大統領公邸のある米国海軍観測所の近くから通っていたんですが、北に向かって緩やかな上り坂になっているウィスコンシン・アベニューを、凍結した路面をまったく制御できなくなった大型のアメ車がスピンしながら滑り落ちていくのを何度か目撃しました。その極寒の気象条件でサイ撃ちのような大型ライフルを使い、1キロを超える距離でフットボールくらいの大きさの人間の頭部に正確にヒットさせるんですから、これはフィクションでしかあり得ません。しかも、そこにFBIの捜査活動で隻眼隻腕隻足となったコロンビア大学の宇宙物理学教授が、これまた、信じられないような空間把握能力をもって狙撃地点を特定し、事件解決に乗り出すんですから、荒唐無稽であり得ないフィクションそのものとはいえ、エンタメ小説らしく手に汗握るハラハラドキドキで楽しめる運びになっています。映画化されたりするのかもしれませんが、私は実はジェフリー・ディーヴァー原作の映画は見たことがなく、まあ、映画化されたリンカーン・ライムのシリーズは「ボーン・コレクター」くらいしか知らないので、おそらく、この作品を原作とする映画も見ないような気がします。
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