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2020年01月12日 (日) 15:00:00

先週の読書は経済書なしで計6冊!!!

先週は、経済書なしで以下の通りの計6冊です。先週、定年退職する直前まで勤務していた役所の研究所の後輩とお話をしていたんですが、今の家を引き払って関西に引っ越しすることとなれば、私の読書ペースがかなり落ちるんではないか、と指摘されてしまいました。まさにその通りと思っています。私のことを読書家であると、善意の誤解をしている知り合いも何人かいたりするんですが、実は、私の読書量は東京都特別区の極めて潤沢な予算に裏付けられているわけで、おそらく、関西に引っ越せば読書量は半減以下に低下し、加えて、読書のタイミングも出版からかなり遅れる可能性があるような気もします。

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次に、高橋直樹・松尾秀哉・吉田徹[編]『現代政治のリーダーシップ』(岩波書店) です。著者・編者は、政治学などの研究者です。2部構成であり、副題が上の表紙画像に見られるように「危機を生き抜いた8人の政治家」となっていて、第1部と第2部に4人ずつ配置しています。第1部はリーダーの個性や資質を強調していて、英国のメージャー首相、ドイツのコール首相、ベルギーのフェルホフスタット首相、アイルランドのヴァラッカー首相であり、フェルホフスタット首相とヴァラッカー首相は執筆時に現役首相だったといいますから、それくらいの時点でどこまで評価できるのかはやや疑問です。第2部はリーダー個人の個性や資質に言及しつつも、リーダーを取り巻く制度や環境にも重点を置いていて、英国のブレア首相、フランスのミッテラン大統領、ロシアのエリツィン大統領、そして、メキシコのゴメス中央銀行総裁というラインナップです。本書のタイトルにもあるリーダーシップについては、私の認識では、バーンズのその名も『リーダーシップ』が本書でも古典的なテキストとされていて、もうすっかり大昔に読んだので私は忘れましたが、何種類かのリーダーシップが解説されています。ただ、編者のあとがきにもあるように、平時で status quo で昨日と同じ今日と明日を送っていればいい時期ならば、いわゆる前例踏襲の官僚で十分なのですが、何らかの危機においては微分不可能な下方への屈曲が起きていますので、従来通りの計画をそのまま実行しているのではなく、計画を大きく変更する必要に迫られるわけで、そこにリーダーシップが必要となります。ただし、本書では「英雄待望論」の立場は排されています。ただ、いくつか気になるところがあり、第1部のコール首相は東西ドイツ統一時の政治的トップでしたし、それなりの決断力と指導力は認めるものの、フェルホフスタット首相とヴァラッカー首相は、単に個性的というだけで選ばれているような気がします。第2部のブレア首相が後継のブラウン首相とのツートップ的な環境で議論されているとすれば、同じくミッテラン大統領についても、典型的なねじれ現象であったシラク首相との関係にも言及が欲しかった気がします。英国や日本のようなウェストミンスター議会でなく、大統領と首相の両方がいる場合、一般に、ドイツなどのように先進国では首相が優先し、途上国では韓国などのように大統領がトップを務める、というパターンが多いような気がしますが、フランスだけは並立し、しかも、社会党という左派のミッテラン大統領とコアピタシオンながらド・ゴール派の流れをくむ共和国連合のシラク首相が並立していた時期があります。わずかに2年ほどで、隣国ドイツ統一の少し前の時期であり、ドイツ統一時は大統領・首相ともに社会党だったんですが、政治的リーダーを取り巻く環境や制度を論じるのであれば、ミッテラン大統領とシラク首相はぜひとも分析対象に乗せるべきだと私は考えます。メキシコのゴメス中銀総裁について、金融政策の専門性や事務処理能力についてはともかく、人脈などのソーシャル・キャピタルに重点を当てるのであれば、もはや、リーダーシップではないような気もするんですが、いかがでしょうか。最後に、リーダーシップについて、私の考える我が日本の2点を確認しておくと、第1に、田中角栄総理が総理を辞任してからのリーダーシップはすごかったんではないかという気がします。もっとも、リーダーシップではなく、単なるパワー=政治力という気がすることも確かです。第2に、リーマン・ショック後に「政治主導」を掲げて政権交代に成功した民主党政権は、危機時のリーダーシップのあり方として、とても方向性は正しかった気がするんですが、結果的に大きくコケたのはどうしてなんでしょうか。さまざまな分析あるものの、私はまだコレといった決定打を発見していません。

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次に、池田太臣・木村至聖・小島伸之[編著]『巨大ロボットの社会学』(法律文化社) です。著者や編者は、大学の社会学の研究者です。ロボットについては、1963年にアニメ放送が開始された「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が我が国での嚆矢となるわけですが、本書では、「巨大ロボット」ということで、鉄腕アトム的なサイズではなく、大きなロボットであって、でも、鉄人28号のように外部のリモコンで操作されるわけでもなく、かといって鉄腕アトムのようにAIよろしく自立的に行動するわけでもなく、ガンダム的にコクピットに人間が入って操作する巨大ロボット、のアニメの社会学を展開しています。「鉄腕アトム」と「鉄人28号」の放送開始の1963年は私は小学校に上がる直前であり、私個人は「鉄人28号」に熱狂した記憶があります。お絵描きでは常に題材は鉄人28号でした。今でも主題歌は歌えるのではないかと思います。また、本書で定義する「巨大ロボット」、すなわち、ドラえもんや鉄腕アトムのサイズではなく、見上げるような大きさのロボットであり、コックピットに人間が入って操縦するロボット、トランスフォーマーのような棒筒などではなくヒト型であり、しかも、それがアニメで放送されたものとなると、その典型である「ガンダム」が放送開始された1979年には20歳過ぎの大学生のころであり、それなりにアニメにも関心の高い年代であり、私としても親しみを覚えます。ただ、本書では「ガンダム」が放送開始された1970年代末はむしろ、巨大ロボットがマンネリ化していた時期であり、むしろ、「ガンダム」は例外的なヒットを飛ばした、ということなのかもしれません。また、1990年代半ばから放送された「エヴァンゲリヲン」も、基本的には「ガンダム」の路線を引き継いで社会的現象も引き起こしました。例えば、私の記憶が正しければ、日本酒の「獺祭」は、「エヴァンゲリヲン」の特務機関ネルフの将校であった葛城ミサトが愛飲していたことから流行に波に乗った、と私は考えているんですが、私と同世代ないし若い世代の酒飲みといっしょに「獺祭」を飲んでも、この葛城ミサトの事実は認識されていないようです。「エヴァンゲリヲン」を見ていないのだろうと思います。同じヒット商品ということで経済的な観点では、ガンダムについては1/144HGスケールをはじめとするガンプラが大きな影響力を持っていたと私は考えています。我が家の倅2人も小学生のころからガンプラ作成にいそしみ、上の倅なんぞは中学・高校・大学と模型クラブに所属して、中学・高校の文化祭はいうに及ばず、大学祭でもガンプラの作品を展示していた記憶があります。こういった経済的・社会的現象も引き起こした「巨大ロボット」について社会学的に解明した結果を、本書は興味深く取りまとめています。

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次に、伊岡瞬『不審者』(集英社) です。作者は、注目の小説家であり、私は初めて作品に接しました。この作品は、会社員の夫と5歳の息子、それに、夫の母親と都内は調布市に暮らす30代前半の主婦を主人公に設定しています。ストーリーのあらすじは、主人公は主婦業のかたわら、フリーの校閲者として仕事をこなす一方で、子供の幼稚園バスのママ友との通り一遍ながら交流もあり、平凡な日々を送っていましたが、ある日、夫がサプライズで客を招き、その人物は、何と、21年間音信不通だった夫の兄だといい出します。その義兄は現在では起業家で独身だと夫はいうものの、最初は自分の息子本人だと信用しない義母の態度もあり、主人公は不信感を募らせるのですが、夫の一存で1週間ほど義兄を同居・居候させることになってしまいます。それから、というか、その直前くらいから、主人公の周囲では不可解な出来事が多発するようになり、主人公は特に子供の安全について不安を募らせる、というカンジです。要するに、ネタバレの結論をいえば、私が読んだ中では、デニス・ルヘインの『シャッター・アイランド』のように正常と異常が反対な作品と同じだったりします。なお、さすがに、ネタバレ部分は透明フォントを使っており、カーソルなどで範囲指定して色を反転させても見ることはできませんが、それなりにhtmlの知識があり、あくまで見たいのであれば、見ることはできるでしょう。約300ページの出版物の中の最後の方の250ページ目くらいから謎解きが始まるんですが、ここに達するまでに、かなり多くの読者は謎が解けているくらいの割合と平凡なプロットで、ミステリとしては凡庸な仕上がりです。もっと、早くからタマネギの皮をむくように、徐々に真相に迫るような運びの方が望ましいのですが、まさか、そこまでの表現力ないとは思いませんから、作者があくまで意図的に最後に一気に真相を明らかにする手法を選んだのではないか、と私は受け止めています。ただ、もしそうだとすれば、やや疑問が残るところです。なお、私の知り合いでオススメしてくれた読書人からの受け売りながら、最後の最後に犯人の弁護をするために登場する白石法律事務所は、同じ作者の別の作品である『代償』や『悪寒』にも出ているそうです。私の読後感としては、謎解きこそ少し疑問あってミステリとしては物足りない気がしますし、かなり、「小説的」な異常なシチュエーションで展開されるストーリーではありますが、主人公の視点から見た平凡な日常が崩れていく、という意味では、それなりのスピード感あふれるサスペンスとしていい出来ですし、別に代表作があったりするんではないか、とも気にかかりますし、ということで、もう少しこの作家の作品を読んでみたい気もします。引っ越しで忙しくて、読まないかもしれませんが、それなりに読書意欲はあります。

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次に、いとうせいこう『「国境なき医師団」になろう!』(講談社現代新書) です。著者は小説家、ノンフィクション・ライターです。2017年だったと思うんですが、同じ著者が『「国境なき医師団」を見に行く』という本を同じ出版社から出していますので、その続編ということになり、本書でも、前著が「俺」を主語にして、やや興奮気味の内容だったのに対して、本書はもっとすそ野を広くと考えたと記しています。ということで、やや落ち着いて、1999年にノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」MSF=Médecins Sans Frontières について、日本国内のスタッフとともに、海外の現に活動しているサイトのスタッフをインタビューした内容です。本書にもあるように、「国境なき医師団」とはいえ、もちろん、医師以外にも医療スタッフは必要なわけですし、本書でもロジスティックスに携わるスタッフが登場したりして、医療が半分、非医療も半分という構成が明らかにされています。ですから、医師でなくても「国境なき医師団」になれるわけです。私はエコノミストであって、もちろん、医師ではありませんし、医療関係のスキルも、ロジスティックスのスキルもなく、紛争地帯などにおける医療活動を支えることは出来そうもありませんが、本書でも、地震被害が大きかったハイチやアフリカの紛争地帯を想像させるウガンダ・南スーダンといったサイトでのインタビューもありますが、フィリピンについては「錨を下ろして活動する必要」という言葉があります。必ずしも本来業務ではないものの、私も開発経済に携わるエコノミストとして、ささやかながらインドネシアで3年間活動した経験があります。もちろん、公務員の活動の一部として辞令1枚で赴任した私なんぞと違って、"too motivated" という表現が本書にもありますが、過大とさえいえる意欲をもって「国境なき医師団」の活動を進めるスタッフには、その使命感のレベルの差は歴然としています。ただ、基本は、各個人の持っている能力や専門性を生かして、途上国の発展や途上国の人々の幸福のためにどれだけ役立てられるか、ということであると私は考えています。現在の資本主義の実態を見れば、その昔のスミス『国富論』的に個人の経済的利益の追求が見えざる手により経済全体の厚生を高める、という神話はほぼ崩壊したわけですし、自主的な利他的活動が求めらるのはいうまでもありません。本書では、個々のインタビュー結果の事実関係を通じて、個人的な小さな物語から大きな物語、すなわち、いかに、世界、特に、途上国で大きな困難を抱える人々の役に立つかの精神や使命感の高さを読み取って欲しいと私は期待します。もちろん、世界に目を向けつつも、国内で困難を抱える人も少なくないわけで、資本主義的な自己の利益追求から、国内外を通じて、より広い視野での活動の大切さを感じ取って欲しいと思います。


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最後に、マルティン・エスターダール『スターリンの息子』上下(ハヤカワ文庫) です。作者は、スウェーデンのミステリ作家であり、本書は初めての邦訳書だそうです。スウェーデン語のタイトルは BE INTE OM NÅD であり、解説によれば「慈悲を乞うなかれ」という意味だそうです。スウェーデン語の原書の出版は2016年ながら、邦訳書は2018年出版のドイツ語版から訳出されているそうです。3部作の第1作のようです。ということで、舞台は基本的に1996年2月から3月にかけてのストックホルムなんですが、時折、1944年1月のストックホルムも振り返られたりします。軍隊から恋人の勤務する通信コンサル会社に転職した主人公は、その恋人がロシアで消息を絶ったことで捜索を始めるところからストーリーが動き出します。もちろん、主人公はロシアに行くことになるんですが、ストックホルムとともに虚々実々のスパイもどき、というか、スパイそのものの駆け引きや、外国小説らしく拳銃がドンパチやったり、爆弾が炸裂したりと、かなり残虐な場面もあったりします。最後は、まあ、それなりに意外感あるのではないでしょうか。スウェーデンにはエリクソンなどの通信機器メーカーが有名ですし、小説の舞台となっている1996年の時点でも、かなり先行き有望観があったでしょうから、こういった北欧通信機器企業に旧ソ連のスターリン主義者、というか、スターリン信奉者が暗躍する一方で、第2次世界大戦終盤の1944年のソ連のよるストックホルム誤爆、というか、空爆の謎を絡めたサスペンスとしてストーリーが進みます。旧ソ連崩壊から数年を経たエリツィン政権下のロシア経済の混乱、特に、経済マフィア的なギャングの暗躍をスウェーデンの秘められた歴史とともにストーリーを進めるのは、私はそれなりに面白く感じないでもないんですが、体感的に理解できる読者とそうでない読者がいそうな気がします。出版の20年前の1996年を舞台に選んだのも、戦争終盤の1944年から50年、ということで、戦争の生き残りがまだいる可能性を残したかったんでしょうが、ややムリありますし、欧州にはまだまだネオナチ的なヒトラー信奉者がいそうな気がする一方で、ロシアにまだスターリン信奉者なんているのか、というシロート目線の疑問もあります。加えて、海外作品ですから仕方ありませんが、馴染みのない人物名がとても複雑な人間関係を構築してくれて、私のような人名記憶キャパの小さい読者はなかなか理解がはかどりません。私自身は、ラーソンからラーゲルクランツに書き継がれている「ミレニアム」のシリーズは大好きですし、スウェーデンをはじめとする北欧ミステリの作品のレベルの高さを知っているだけに、今後の作品に期待なのかもしれません。
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