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2018年07月28日 (土) 10:03:00

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!

今日はどうも台風で1日中雨らしく、することもなく読書にいそしんでおります。午後から、ひょっとしたら、いつものようにプールに行って泳いで来るかもしれません。今週の読書はいろいろとバラエティ豊かに以下の通りの計6冊です。今日は自転車で図書館を回るのはムリなので、明日の午後からでも出かけられれば、やっぱり、来週の読書に向けて5~6冊ばかり借りてこようと計画しています。

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まず、トム・ヴァンダービルト『好き嫌い』(早川書房) です。著者はジャーナリスト、というか、サイエンス・ライターであって、研究者ではありません。行動経済学にも関連して、好みや好き嫌いについてのエッセイです。結局のところ、トートロジーの循環論法でしかないんですが、人間というのは関心あるものに目が行ったり聞こえてしまったりで、そのように認識の内側に入ったものに関心が向く、ということなんだろうという気がします。特に、合理的なホモ・エコノミカスを前提とするような伝統的な経済学では好みの問題は説明できない、としか考えません。というか、そこで思考停止します。ただ、特に生産的とも思えない芸術の好き嫌い、例えば、私の父親はいわゆるクラシック音楽のドイツ・ロマン派が好きでしたが、私はモダン・ジャズが好きです。ただ、高校生や大学生のころはコルトレーンのサックスが特に好きだったんですが、寄る年並みとともに、もっと静かなピアノ・トリオの演奏が好きになりました。もっとも、私はサックスは吹けませんが、ピアノは習っていたことがありますので、当然の好みの変化かもしれません。そして、私自身でも不思議なのが、阪神タイガースに対する好みの問題です。昨夜も東京ヤクルトにボロ負けしたにもかかわらず、タイガースへの愛情だけは一向に衰える気配がありません。まったく、不思議なことです。

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次に、康永秀生『健康の経済学』(中央経済社) です。著者は東大医学部教授であり、本書の表題を私のようなエコノミストの視点からではなく、医者の視点から解明しようと試みています。高齢化が進む日本の経済社会において、いかにして医療費の増加を抑制するか、という観点から議論が進められています。ということで、最終章で、結論として、質を犠牲にするか、費用を犠牲にするか、アクセスを犠牲にするか、の3択を著者は提案しています。医療費抑制が本書の眼目なんですから、2番めの費用を犠牲にして、多額の財政リソースをつぎ込む選択肢はもともとあり得ません。ですから、医療の質を犠牲にするか、現在のフリーアクセスを放棄してアクセスを犠牲にするか、という2択になります。そして、著者は医学研究者らしく医学の進歩を止めて質を犠牲にすることなく、アクセスを制限して英国型の医療を提案します。私はエコノミストとして、やや逆説的ではありますが、もうここまで平均寿命が伸びたんですから、医学の進歩も停滞させていいんでないかという気がして、質を犠牲にするのも一案ではないかと考えています。私のようなシロートから見ても利幅の大きな老人向け医療よりも、小児科とか子供や若年者向けの医療の充実や質の向上を目指すティッピング・ポイントに差しかかっている気がしてなりません。その意味で、本書の結論のひとつで明確に間違っているのは、子供向け医療費の無料化が子育て費用の軽減を通じて有効な少子化対策になる点を見逃していることです。「医療費無料」にのみ過剰に反応している気がしてなりません。

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次に、朝日新聞取材班『権力の「背信」』(朝日新聞出版) です。合せて「モリカケ」と称された森友学園と加計学園に関する報道ないしスクープの現場をメイキング調で明らかにしたノンフィクションです。森友学園の国有地取得に関する不透明な手続き、さらに、加計学園の獣医学部創設にまつわる総理の意向とその忖度のあり方、そういった行政の中立性や透明性に関する疑念を生じかねないスキャンダルについて朝日新聞記者が、どのような取材活動を行い、国民にメディアを通じて伝えたかを跡付けています。第1部で森友学園を取り上げ、第2部で加計学園に焦点を当てていますが、さまざまな報道がなされた上で、もちろん、内閣支持率への影響もあったこととは思いますが、結局のところ、本書にもある通り、昨年の総選挙では現政権に圧倒的な信任が示されたわけですし、それを影響力絶大とはいえ個人の「排除」発言ですべてを論じるのもムリがあるような気がします。また、森友学園と加計学園で結果として前者が学校理事長夫妻の逮捕とか、学校開設の断念とかで終ったのに対して、後者が今年4月に獣医学部を創設し、それなりの倍率の入試で学生を集めてスタートを切ったのと、かなり差が大きいように私は受け止めているんですが、この差が何から生じたのか、個別に2つの事案を取り上げるだけでなく、総合的な評価も示して欲しかった気がします。でも、極めて緊迫感や臨場感あふれるルポで、400ページ余りでかなり小さい文字のボリュームにもかかわらず、一気に読ませる迫真のリポートです。今年一番の読書でした。

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次に、キャシー・オニール『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』(インターシフト) です。著者は数学の博士号を持つデータ・サイエンティストです。上の表紙画像に見られるように、英語の原題は Weapon of Math Destruction であり、普通は、"Math" の部分に "Mass" が入って、「大量破壊兵器」と日本語に訳されるわけです。ということで、数学的なモデルの普遍性、例えば、三児の母親である著者が夕飯の献立を考える、といった実に実践的な人間行動においても数学的なモデルが背景にあるということを本書では解説しつつ、そういった数学モデルが経済的な効率性にのみ奉仕し、正当性とか、倫理性を放棄している現状を批判的に議論しています。そして、こういった数学モデルを用いたスコアの測定、例えば、オンライン広告の極めて倫理観の欠如した売り込み、就職の時の適正スコアに対する疑問、サブプライム・バブル崩壊時にも疑問視されたクレジット・スコアの適正さに対する疑問、などなどを実に理論的に取り上げ、現在のAIを活用し、ビッグデータを取り込んだデータ解析のあり方を批判的に取り上げています。ただ、視点としては理解できるものの、現状分析としては、その通りなのかもしれませんが、そういった憂慮すべき現状に対する処方箋が物足りない気がします。でも、マルクス主義的に考えると、そこがまさに資本主義の限界なのかもしれません。でも、そこで思考停止するのも問題のような気がします。

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次に、マーチン・ファン・クレフェルト『新時代「戦争論」』(原書房) です。著者はオランダ生まれで、イスラエルの歴史研究者です。こういった戦争論や兵法でいえば、中国の孫子やクラウゼヴィッツによる『戦争論』が有名なんですが、本書の英語タイトルは More on War であり、クラウゼヴィッツを強く強く意識しているようです。というのは、最後の解説でも示されている通り、クラウゼヴィッツ『戦争論』のドイツ語のタイトルは Vom Kriege であり、英語に直訳すると On War ということになります。本書はそれに More をつけているわけです。ということで、孫子やクラウゼヴィッツには、なぜか、海戦が取り上げられていない点や、あるいは、その後の技術的な進歩による宇宙戦やサイバー戦はいうに及ばず、大量破壊兵器が実戦で使われるようになったり、また、戦争を開始する主体が国王という君主から議会という国民の代表、さらに、国連決議に基づく戦闘行為といった変遷を遂げた現在までの新しい時代における戦争について論じています。もちろん、私は専門外もいいところなんですが、従来説である「戦争は政治や外交の延長」という見方が必ずしも成り立たない現在の戦争について、要するに、戦争プロパーについて戦略のみならず兵站まで含めた戦争に焦点を当てています。孫子やクラウゼヴィッツに代わる新たなスタンダード、とまでは決して思いませんが、私のようなシロートにもなかなかタメになりそうな気がします。

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最後に、渡淳二[編著]『ビールの科学』(講談社ブルーバックス) です。数年前の同名のブルーバックスをカラー版として豪華に再編集したものだそうで、かなりの程度にアップデートもされているようです。編著者をはじめとして、サッポロビールの面々が本書の製作に当たっています。ブルーバックスですから、かなり理系の本です。大昔に食物科の女子大生の友人から聞いたようなお話だと感じてしまいました。なお、我が家では、上の倅は私以上に酒飲みなんですが、20歳過ぎの大学生ということもあって、ビールなんぞの低アルコール酒よりは、より男っぽい、というか、何というか、スピリッツ系のウィスキーなどを好む一方で、私は酒が強くもないので、もっぱらナイター観戦のお供のビールで済ませています。阪神が弱いのでビールもおいしくないんですが、私は違いの判らない男ですので、本書で詳細に解説されているようなビールと発泡酒と第3のビールについては、少なくとも味の違いは判りかねます。もっぱら値段の違いで買い別けています。ただ、本書ではビールの本場ドイツには着目しているものの、圧倒的な消費量を誇る米国のビール事情が少し足りないような気がします。私が米国連邦準備制度理事会(FED)のリサーチ・アシスタントをしていた1980年代終わりころには、すでにクアーズがロッキーを超えていて、高所得層はクアーズ、低所得層はバドワイザーといった雰囲気がありました。また、ちょうど発売が始まったのか、輸出が始まったのか、米国でキリンの一番搾りが飲み始められたころで、「キリン・イチバン」と称されていて、「イチバン」がそのまま英語化していたような気がします。ジャズを聴きに行くと、ピアニストのハロルド・メイバーンが「イチバン・メイバーン」と紹介されていたのを思い出します。
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