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2019年01月26日 (土) 11:28:00

今週の読書は経済書や教養書など計6冊の通常ペース!

今週の読書は貧困論や不平等論などの専門家であるアトキンソン教授の経済書をはじめとして、ほかにも経済書・ビジネス書や教養書など計6冊の通常ペースです。ただし、小説は読んでいません。今週はすでに図書館回りを終えており、私の好きな小説家の吉田修一の最新作など、これまた、通常ペースで数冊を借りてきています。

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まず、アンソニー B. アトキンソン『福祉国家論』(晃洋書房) です。著者は英国の経済学者であり、不平等論や貧困論などの碩学です。2017年に物故しています。本書の英語の原題は Incomes and the Welfare State であり、1995年の出版です。まず、1995年の出版であり、かつ、講演などのスピーチから起こした原稿が少なからず含まれているのには驚きますが、必ずしも現時点で無効な議論があるわけでもなく、十分な一般性を持って受け入れられる結論が提示されていると考えられます。もちろん、1942年ノベヴァレジ報告から50年とか、現下の大問題はロシアや東欧の資本主義への移行問題、などと書かれていると、ついつい読書意欲が削がれる思いをするわけでうが、それでも、所得の不平等や貧困問題、さらに、福祉国家論などは今でも十分に通用する議論が展開されています。特に、日本語タイトルに凝縮されている福祉国家論については、福地国家のさまざまな政策が市場経済に決していい影響を及ぼさない、例えば、失業給付が自然失業率を高めるとか、最低賃金の上昇が失業を生み出すとか、賦課方式の年金が資本蓄積を低下させるとか、といった右派エコノミストからの理論的かつ実証的な論考に対して、それでも著者は福祉国家を擁護する論陣を張っています。ただ、論文や講演録の寄せ集めというイメージはぬぐえず、精粗まちまちの議論が展開されています。英国と欧州を大賞にした論考であり、米国ですら参考程度の扱いであり、我が日本はまったく分析の対象外である点も残念です。3部構成となっていて、第Ⅱ部の失業分析ではモデルを数式で表現して解析的に分析している一方で、延々と言葉で説明を繰り返している部分も少なくありません。ただ、ユニバーサルな給付を重視し、ターゲティング政策については批判的である点については、私の見方と一致します。最後に、この著者の本であれば、本書よりも、やっぱり、『21世紀の不平等』の方がオススメです。私のこのブログの読書感想文では、ちょうど3年前の2016年1月30日に取り上げています。ご参考まで。最後の最後に、どうでもいいことながら、上の表紙画像に見える4人はどういった方々なんでしょうか。

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次に、清水勝彦『機会損失』(東洋経済) です。著者は慶應義塾大学ビジネススクールの教授であり、今までにも経営書を何冊か出版しています。私も読んだような記憶がありますが、ちゃんと覚えているのは『あなたの会社が理不尽な理由』くらいです。本書は機会損失とのタイトルですが、あくまでキーワードとしての機会損失であり、機会損失そのものを深く掘り下げているわけではなく、経営戦略一般を広く浅く取り上げています。ついつい見過ごされがちな機会費用なんですが、経営学では、何かの決定を行うに際して、トレードオフのように犠牲になるもう一方の損失、ないしコストを指します。希少性高い、すなわち、平たくいえば、限りある経営資源を何に投入するか、を決めれば、その経営資源を投入しなかった先が他方に残るわけですから、それが機会損失となります。ですから、ホントのネットのリターンは、実行するプロジェクトのリターンから断念したプロジェクトのリターンを差し引いた額になるわけで、経済学では「限界的」という用語を用いると思いますが、本書では登場しません。そして、本書でも強調しているように、マイナスを回避するバイアスが強いプロスペクト理論からして、チャンスをみすみす逃す経営も大いにありそうです。本書では、捨てられない、止められないでズルズルと経営資源をつぎ込むプロジェクトを続けるコストを「エスカレーション・オブ・コミットメント」と呼んでいますが、経済学ではあからさまに「ゾンビ」といったりもします。ただ、本書では、このエスカレーション・オブ・コミットメントなり、ゾンビなりに対応する概念として、早く止めすぎる機会損失も指摘していますが、これはどちらも機会損失になるとはいうものの、結果論といわれてもしようがないような気もします。もっとも、私が地方大学に出向した際に感じたところですが、経済学よりも経営学の方が格段に実務に近いですから、経営学の方が結果論、というか、結果に執着する傾向は強そうな印象を持った記憶があります。でも、何につけ、上下・左右どちらでも言い逃れられるのが経済学や経営学の弱点でもあり、いいところかもしれません。最後に、オポチュニティ・コストとは、経済学では「機会費用」の用語が一般的なんですが、経営学では「機会損失」になるのか、とミョーなところに感心したりもしました。

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次に、ジャコモ・コルネオ『よりよき世界へ』(岩波書店) です。著者はイタリア出身で、現在はベルリン自由大学教授で公共経済学科長を務めています。ドイツ語の原題は Bessere Welt であり、日本語タイトルはほぼほぼ直訳のようです。2014年の出版です。本書で著者は、資本主義の浪費、不公正、疎外の3点として上げており、第1章のプロローグと第12章のエピローグでは父と娘の会話として問題意識の発見と取りまとめに当たっています。本書では、資本主義の特徴として生産手段の私有制と市場による資源配分と所得分配を前提とし、古典古代の哲学者であるプラトンの「国家」や中世トマス・モアの「ユートピア」から始まって、クロポトキンの無政府共産主義、もちろん、マルクス-エンゲルスの社会主義と共産主義、ステークホルダーによる株式市場社会主義などさまざまな代替的システムとともに、資本主義下での改良策としてのベーシックインカムなどを考慮の対象として、いろんな思考実験をしています。あるいは、ネタバレっぽいんですが、特徴的な結論だけを簡単に取りまとめると、資本主義の定義とされた生産手段の私有制と市場による配分と分配に対立するものとして、生産手段の国有ないし公有と計画経済を特徴とするマルクス的な社会主義については、生産手段の公有は否定され、計画経済もスコアが低くなっています。他の代替システムはもっとスコアが低いんですが、少なくとも、繰り返しになりますが、生産手段の国有ないし公有は明確に否定的で、しかも、株式会社社会主義においても企業活動の目的は利潤の最大化とすべき、と結論していますので、現行の資本主義と大きく異ならないシステムが、やっぱり、推奨されるような雰囲気があります。その代わり、資源配分は市場メカニズムが効率的であるとしても、所得分配の改善のため、ベーシックインカムと中央ないし地方政府が運営するソブリン・ウェルス・ファンド(SWF)が推奨されています。ただ、本書の最初の方では経済システムと民主主義について、それなりの考慮がなされていたにもかかわらず、真ん中あたりから忘れられた印象があり、そのために冒頭の3点目の疎外の問題がほとんど取り上げられていないと見たのは、私だけでしょうか。最近時点で欧米におけるポピュリズムの問題がクローズアップされてきており、本書の執筆時点を考慮すると重点ではなかった可能性もあるとはいえ、ある意味で残念です。

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次に、アニー・デューク『確率思考』(日経BP社) です。著者は米国人で、プロのポーカー・プレーヤーとして400万ドルを稼いだと豪語し、現在は引退してコンサル活動をしているということです。英語の原題は Thinking in Bets であり、昨年2018年の出版です。日本語タイトルは、むしろ、原題を活かせば「賭け型思考」というカンジなんではないかという気がします。賭けの大きな特徴は2つあって、ひとつは本書でも強調されていますが、ザロサムであるという点です。阪神-巨人戦で阪神が勝てば巨人は負けなわけです。もうひとつは、本書では明示的には示されていませんが、大数の法則が必ずしも成り立たない小数の試行結果だということです。サイコロの目が出る事前確率はそれぞれに⅙なんですが、事後的には、出た目そのものの確率が1である一方で、出なかった目はゼロなわけです。ですから、本書でも明らかにされているように、確率20%の結果が実現することもあるわけですが、それで賭けの勝負するのは決して賢明ではない、ということになります。ただ、人間は自分に都合よく考えるバイアスがあり、成功は自分の能力やスキルに起因し、失敗は運が悪かった、と考える傾向がありますから、オープンに他者の目を取り入れて、客観的な判断を下し、説明責任を全うする必要があります。経済学では、その昔のシカゴ大学ナイト教授のように、確率が判っているリスクと判らない不確実性を区別しますが、大数の法則を無視する、というか、大数の法則に達しない段階での意思決定をせねばならないギャンブル的な思考では、その区別はありません。ということで、カーネンマン教授らのプロスペクト理論も登場すれば、セイラー教授の名は出なかったような気もしますが、実験経済学的な思考もふんだんに盛り込まれており、「意思決定はギャンブルである」というフォーマルにはみんながなかなか認めたがらない事実に関して、あけっぴろげに論じています。本書では明示的に示してはいませんが、「結婚の意思決定はギャンブルである」というのは、多くの既婚者が身にしみて感じていることではないでしょうか。

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次に、大野哲弥『通信の世紀』(新潮選書) です。著者はKDD(国際電信電話株式会社)のご出身のようです。通信について、暗号通信とともに、19世紀半ばの明治維新期から20世紀いっぱいくらいまでのインターネット時代を概観しています。通信の戦略的な面とともに、技術的なテクノロジーも判りやすく解説を加えています。明治維新から、いわゆる列強の帝国主義時代に通信が技術的にも大いに進歩し、例えば、岩倉使節団が米国サンフランシスコに到着したとの第一報は、米国を西海岸から東海岸に横断して、大西洋を渡って欧州経由で長崎にもたらされるまで1日かかったが、長崎から東京まで10日を要した、などは通信の技術的進歩をよく表しているような気がします。暗号については、日米開戦間際の最後通牒の受け渡しが取り上げられていて、14分割の電報をタイピストを使わずに書記官がタイプして野村大使がハル米国国務長官に渡したのが真珠湾攻撃開始後だった、という失態ですが、現在では私のような下っ端管理職でもパソコンが机にあって、キーボードを使ったタイピングに慣れている時代と違い、おエラい外交官がタイプするのは時間がかかったのは理解できるところです。分割電報が全部そろうまで何もしないというのはとてもお役所的で、私も、図書館で借りた本を返却する際、すべてそろうまで平然と突っ立ったままで、何もしない図書館アルバイトが多いのは実感で知っています。まあ、図書館が指定管理者制度になって、図書館員の質が大きく下がったのは周知の事実ではあります。戦後は、同軸ケーブルと衛星通信が高度成長を支え、サービスとしては、電報からテレックス、さらに電話に通信の主流が移り変わり、今ではインターネットによる通信が大きな割合を締めているのは周知の事実であろうと思います。本書では必ずしも定量的に明らかではないんですが、通信トラフィックも劇的に増加しているのは確実です。通信の内容も、電報にせよ、テレックスにせよ、電話にせよ、長らくテキストだったのが、電話から音声になり、インターネット時代は画像ないし今では動画になっています。ついつい、KDDの社史の方に流れて、そういったあたりをカバーしきれなかったのが本書の弱点かもしれません。

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最後に、井手英策『幸福の増税論』(岩波新書) です。著者は慶應義塾大学の経済学の研究者であり、専門は財政学や公共経済学です。従来から、増税に対する我が国国民の意識として、政府の歳出に対する信頼感が薄く、社会保障でユニバーサルに国民に給付されるのではなく、公共投資を通じて国民に還元される「土建国家」であるために、その財源として徴収される税金に対する忌避感覚が強い、と主張していて、私も大いに合意していたんですが、本書ではかなりトーンが違ってきている気がします。というのは、日本のリベラルの価値観を自由、公正、連帯の3点に凝縮し、国民全員に利益となるベーシック・サービスによるニーズの見たしあいを重視し、それを公共財として提供する財源としての税金を増税することに力点を置いています。その上で、累進課税による従来型の所得再分配ではなく、繰り返しになりますが、ベーシック・サービスの供給という、何とも、実態のハッキリしない財政需要を想定します。すなわり、p.83の表現を借りれば、「社会のメンバーに共通するニーズを探しだし、そのために必要となる財源をいなで負担しあう道を模索しなければならない」ということになります。私はそこまでして財政支出を拡大し、そして、その財源を増徴する必要は感じません。ムリに財政をユニバーサルにし、財政支出をして国民の連帯や絆の手段とするのは政策割当を間違っているとしか感じられません。国民間の連帯強化には財政政策ではなく、別の政策が割り当てられるべきです。担税感をして国民の連帯感情の基礎にするのは私は同意できません。本書では、消費税の負担軽減措置については否定的な見方を示しており、私が同意する部分も決して小さくはないんですが、少し従来からは違う方向に舵を切った気がしてなりません。
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