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2019年12月28日 (土) 10:30:00

今週の読書は資本主義について考えさせられる経済書をはじめとして計8冊!

今週の読書は、資本主義について深く考えを巡らせる経済書をはじめとして、以下の通りの計8冊でした。大雑把に、都内の区立図書館は今日までの営業のようですが、結局、ダイアモンド『危機と人類』は来週の年末年始休みに回すことにしました。

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まず、根井雅弘『資本主義はいかに衰退するのか』(NHKブックス) です。著者は、我が母校である京都大学経済学部の経済学史を専門とする研究者です。当然ながら、40年ほど昔の私の在学中にも経済学史の先生はいたわけですが、そのころの経済学史担当の先生は時代を先取りしていたというか、「研究室内禁煙」を明記していました。私の所属するゼミの先生なんて、自らパイプを燻らせているような時代でしたので、何となく違和感を覚えた記憶が残っていますが、今なら何ということもなく、私も来年私大の教員になる際には研究室は禁煙にする予定だったりします。それはそれとして、本書の具育大は「ミーゼス、ハイエク、そしてシュンペーター」となっており、20世紀前半から1970年代くらいのオーストリアン学派の中核をなしつつも、必ずしもナチスによるユダヤ人迫害ばかりでもなく、米国の大学に研究の場を求めたエコノミスト3人です。本書のタイトルからして、資本主義から社会主義への移行をテーマにしているわけですが、1990年代初頭に旧ソ連が崩壊して多くの東欧諸国とともに資本主義に移行し、中国・ベトナム・キューバなどの一部に社会主義と自称する国が残ってはいるものの、資本主義と社会主義の歴史的な役割についてはすでに決着がついた、と考えるエコノミストが多そうなところ、それを経済学史的にホントに振り返っています。ご本家のマルクスをはじめとして、マルクス主義のエコノミストの多くは、あくまで私の想像ですが、資本主義から社会主義への移行は歴史的必然であり、好ましいと考えていたわけですが、副題に上げられたオーストリア学派の3人については、少なくともシュンペーターは決して好ましいとは考えず渋々ながら資本主義から社会主義への移行はある程度の歴史的必然であると考えていた一方で、ミーゼスは今でいうところの市場原理主義的なエコノミストですし、ハイエクも社会主義を左派の全体主義、ファシストを右派の全体主義とひとくくりにして論じていたと私は認識していますので、シュンペーターとはかなり見方が異なると考えるべきです。ただ、1930年代にウォール街に端を発する世界大恐慌の中で、古典派的な完全競争を賛美する資本主義はむしろ好ましくなく、何らかの政府の市場介入が必要と考えるエコノミストが多かったことも事実です。ひとつの大きな流れがケインズであるのはいうまでもありません。古典派的なレッセ・フェールの資本主義をいかに安定的な気候に作り替えるかが当時のテーマであり、ミーゼスのように資本主義の不安定性を否定する議論は、当時は受け入れがたかった気がする一方で、気が進まないながら渋々社会主義への移行を見込んだシュンペーターの見方も理解できるところです。経済体制的には大きな意味ある議論とは考えられませんが、資本主義をいかに社会全体に、あるいは、国民に安心できるシステムに磨き上げていくか、という点でのエコノミストの努力を読み取るべきかもしれません。巻末の読書案内が迷惑なくらいに充実しています。私はかなり前に同じ著者の『経済学者はこう考えてきた』を読んで、その際、巻末の読書案内は適当だったような記憶があるんですが、本書のはやや重厚に過ぎる気がしました。もっとも、あくまで個人の感想です。

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次に、望月智之『2025年、人は「買い物」をしなくなる』(クロスメディア・パブリッシング) です。著者は、デジタルマーケティング支援を提供するコンサルタント会社の経営者です。今週号の「東洋経済」のアマゾンで「売れているビジネス書」ランキングで、先週の130位から29位にランクアップしたと注目されていたりしました。ということで、買い物についての将来像を提供してくれています。本書の終章で出て来るのを少し私なりにアレンジすると、その昔は、1日かけて百貨店で買い物をしていたところ、私の子供時代なんかはモータリゼーションの時代で一家そろって朝から自動車でショッピングモールに出かけてランチの後に帰宅するという半日がかりの買い物の時代を経て、自転車で1時間のスーパーの買い物、そして、最近では、リアルの店舗なら10~15分でコンビニ、あるいは、5分以内でインターネット通販で買い物を終える、といったカンジでしょうか。通販を別にすれば、お店に足を運んで、品定めをし、レジに並んでお支払いを済ませ帰宅する、ということで、「家に帰り着くまでが遠足」ではないですが、帰宅までを考えれば、確かに買い物はメンドウです。しかし、他方で、資本主義的な世界観からすれば、典型的にお金を払って買う方とお金をもらって売る方の、決して対等ではあり得ない関係が実現するのが買い物という現実です。例えば、我が家は子供が小さかったということもあって、買い物の荷物を運び込むのに便利な低層階、2~3階に住んでいたんですが、最近ではインターネット通販などで買ったものを運んでもらえば高層階の生活も快適、なんて時代であったりするわけで、お金持ちの国民がお金を払って運ばせる側とお金をもらって運ぶ側に分断されている感すらあります。他方で、本書のいうように、もはや消費の選択すらせずに、AIにお任せでいつものトイレットペーパーや日用品や化粧品などを定期的に購入するようなライフスタイルも可能にあっています。トイレットペーパーの在庫をAIが確認して自動的に発注するとかです。こうなれば、人類がAIの家畜ないしペットになる一歩手前、と感じるのは私だけでしょうか。ネコが飼い主にエサをねだって、トイレの砂を交換してもらうようなもんです。ペットのネコがペットフードに依存して狩りをしなくなるように、人間もAIのチョイスにお任せで買い物をしなくなるのかもしれません。「上級国民」はAIが必需品を発注して、「下級国民」がそれを運ぶ、ということになるのかもしれません。そうならないように、自覚的な民主勢力の行動が求められているのかもしれません。本書もある意味で資本主義について深く考えさせられる読書でした。

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次に、 レイ・フィスマン & ミリアム A. ゴールデン 『コラプション』(慶應義塾大学出版会) です。著者2人は、米国の大学において行動経済学と政治学のそれぞれの研究者です。英語の原題は Corruption であり、2017年の出版です。一般名詞としての「コラプション」には、汚職と腐敗の2通りの邦訳がありますが、本書では前者の意味で用いており、さらに、公務員に対するものだけを対象としています。ですから、少し前に我が国でも話題になった建設業界の談合などは少し違う扱いかもしれません。ということで、本書で一貫して強調されているのは、汚職を含む資源配分ないし所得分配についてもひとつの均衡であるという点です。ですから、限定的とはいえ、経済合理性からいくぶんなりとも説明できるハズ、ということになります。例えば、どこかの駐車場に料金を支払って車を置くか、路上駐車で罰金を支払うか、はたまた、路上駐車で取り締まりの警官に賄賂を支払って罰金を逃れるか、の大雑把に3つの選択肢から、主観的な期待値と確率から最適解を選択するわけです。ただ、一般論ながら、公務員に賄賂を渡して不正な手段で利益を上げるのは、経済的な最適資源配分から歪みを生じて非効率を生み出す可能性が高くなり、これも一般論ながら、汚職は避けるべきであると見なされており、そのための方策についても本書では考えを巡らせています。個別具体的なケーススタディよりも豊富ですが、定量的な分析に重点が置かれているようです。例えば、民主主義と専制主義でどちらが汚職の割合が高いか、については、王政を例外として専制主義の方に汚職がはびこる可能性を指摘していますし、他方で、公務員のお給料を上げれば汚職が減少するケースとそうならないケースの分析など、いろんなケーススタディも示されています。日本に住んでいる我々にはそれほど目につきませんが、途上国では賄賂を贈る汚職は日常的にあり得るものです。実は、私はチリではともかく、インドネシアでも現地の免許証を取って自動車を運転していたんですが、ほとんど現地語を理解しない私がどうやって免許証を取得したかといえば、控えめにいっても、違法スレスレのわいろ性あるつけとどけが効き目あったとしか思えません。ただ、その昔には、本書で紹介されているようなレフの議論にもあるように、極論すれば、途上国の不可解で不合理な規制を回避するために賄賂を贈っての汚職がむしろ経済合理的だった可能性も比叡出来ないわけですが、今ではそんなこともないと考えるべきです。途上国援助や開発に絡んだ汚職は今もって決して例外的なものではなく、基本的にはカギカッコ付きの「文化」とすらいえる段階まで一般化した汚職が、みんながやっているから自分の汚職に対する認識とは別にして、自分もやる、ということにつながっています。前半のみんながやっている、という部分は期待ですから、我が国のデフレ対策と同じで、期待に働きかけて、誤った期待を払拭するのはとても時間がかかります。特効薬はありません。地道な活動が必要、という結論しか出て来ず、私のようなのんびりした田舎者が取り組むべき課題のような気がして、逆に、せっかちな都会人には不向きかもしれません。

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次に、岡奈津子『<賄賂>のある暮らし』(白水社) です。著者はアジア経済研究所の研究者であり、地域的な専門分野は中央アジアです。この読書感想文の直前に取り上げた『コラプション』がケーススタディよりも定量的な評価に重きを置いた学術書だったのに対して、本書も専門的な学術書の要素あるとはいえ、ほぼほぼケーススタディ、しかも、著者が自分で情報を収集した限りのカザフスタンのケーススタディとなっています。本書でも、基本的に公務員や何らかの有資格者に対する賄賂を取り上げており、交通警官をはじめとする警察官や役所への対応における賄賂、さらに、教育と医療の現場における賄賂に着目しています。カザフスタンは1990年代初頭に旧ソ連の社会主義経済から切り離されて独立し、いわゆる移行国として市場経済化が進められる中で、資源依存ながら今世紀初頭から経済成長が本格化し、現在では1人当たりGDPが1万ドルを超える高位中所得国となっています。その中で、本書で取り上げられているようなメチャクチャな賄賂がまかり通るようになっているようです。私はインドネシアの汚職の現状に関する情報もいくぶんかは接する機会がありましたし、そもそも、ビジネス上で賄賂とまでいわないまでも、営業が売り込む際の接待などは我が国でも日常的に見られるわけですし、医療についてもお金持ちほど高額で先進的な医療を受けられるのは、決して賄賂が常態化しているわけではない先進国でも、これまいくぶんなりとも、ご同様です。しかし、本書で取り上げられている教育における賄賂というのはややびっくりしました。いい学校に合格するのも賄賂が効いて、成績も博士号の学位も賄賂次第、というのはどうなんでしょうか。1人当たりGDPが平均的に1万ドルを超えるくらいの高位中所得国における教育の賄賂の相場を本書から見ても、かなり高額であることはいうまでもありません。少なくとも、我が日本においては、それなりに教育の場における公平性というのが確保されてきたことは特筆すべきです。ですからこそ、森友・加計問題が大きな注目を浴びたわけですし、医大入試の性差別もご同様です。もちろん、こういった例外を別にすれば、少なくとも入試の公平性については我が国では信頼感あるわけですし、だからこそ、この暮れの大学入試への民間英語試験導入や記述式問題の見送りなどが大きく報じられているわけです。我が国でのそれなりのブランド大学への信頼感はまだ残っていて、それが悪い方向に作用するケースも決して少なくありませんが、学界はいうまでもなく、政界や官界や実業界などでも大学のランクはそれなりの重みを持ち、単なるシグナリング効果だけにしても、有効なケースも少なくありません。こういった教育の場における賄賂については、カザフスタンの先行きを懸念させるに十分な気がするのは私だけではないと感じました。

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次に、ウォルター・アイザックソン『イノベーターズ』1&2 (講談社) です。英語の原題は Innovators であり、2014年の出版です。著者は、CNNのCEOを務めt顔ともあるジャーナリスト、また、歴史学者であり、本書の冒頭で自身を「伝記作家」と位置付けています。伝記作家としては、今までは個人を取り上げてきており、世界的なベストセラーとなった『スティーブ・ジョブズ』1&2のほか、『レオナルド・ダ・ヴィンチ』上下、『ベンジャミン・フランクリン伝』、『アインシュタイン伝』、『キッシンジャー伝』などがあります。ただ、本書では特定の個人を取り上げるのではなく、コンピュータやICTとも称される通信技術、もちろん、インターネットも含めてのテクノロジー全般を、発明者というものは存在しないものの、幅広く関連する人物像にスポットを当てています。私は英語版の原書の表紙を見た記憶があるんですが、ラブレス伯爵夫人エイダ、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、アラン・チューリングの4人が並んでいたりしました。まず、第1巻では、コンピュータの母といわれ英国の女性数学者でもある伯爵夫人エイダ・ラブレスの存在から、世界初のコンピュータENIACの誕生、プログラミングの歴史、トランジスタとマイクロチップの発明、そしてインターネットが生まれるまでを網羅し、第2巻では、比較的直近までのデジタルイノベーションのすべて、すなわち、パーソナルコンピュータ、ソフトウェア、ブログ、Google、ウィキなどが取り上げられた上で、終章でラブレス伯爵夫人エイダに立ち戻っています。邦訳のイノベーターはそのままイノベーションを行う人という意味ですし、コンピューターやインターネットなどのイノベーション、さらに、人工知能=AIに関する著書の考え方が色濃く示されています。例えば、イノベーションは突出した天才が1人で実行するのか、それとも、テクノクラート的なチームでの達成の成果なのか、という点については、やや残念なことに折衷的な見方が示されており、傑出した大天才がチームを組んでイノベーションを実行する、ということになっています。ただ、後者のAIに関する見方は明確であり、機械が思考することはありえないとのレディ・エイダの考えを示し、機械はあくまで人間のプログラミングに従って動くものと規定しています。ですから、AIが人類の支配者になることは想定していないようです。ということで、ジャーナリスト的な才能ある歴史研究者、というか、その逆の歴史研究者の資質あるジャーナリストでもいいんですが、テクノロジーの詳細な解説はほぼほぼなしに近い点に不満を持つ向きがあるような気がしないでもないものの、人物像を生い立ちから家庭的なバックグラウンドまで迫ってキャラを立て、技術が社会的ンどのような貢献をなしたかを明確に示した歴史書です。時系列的に順を追っているだけでなく、タイトル通りのイノベーターたちという人物を就寝に据えながら、技術を章別のテーマに立てて、かなり判りやすく史実を並べています。決してコンパクトではありませんし、英語版の原書は5年前の出版ながら、キチンと押さえるべきポイントは押さえられており、邦訳がいいのも相まって、私のように工学的な知識がなくても、スラスラと読み進むことが出来ます。

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次に、湊かなえ『落日』(角川春樹事務所) です。著者は、ご存じイヤミスと呼ばれる読後感の悪いミステリ作家です。本作品は直木賞候補作となっています。ということで、同年代30歳過ぎの2人の女性をメインとサブの主人公に配し、20年前の少年・少女時代の地方の一家殺人事件の真相に迫るミステリです。メインの主人公はアシスタント的な役割ながらシナリオライター、サブの主人公は世界を舞台に活躍する映画監督です。この2人は出身地が同じで、その地で起こった一家殺人事件、すでに裁判が終わって判決も確定している事件をテーマとするドキュメンタリー映画の製作に先立って、事件の真相解明に迫ります。その中で、児童虐待が大きなテーマとなり、事件で殺された虚言壁のある高校生、犯人でその兄の男性、その殺人事件のあった家族の隣家に小さいころ住んでいたサブの主人公の映画監督、同じ町でピアニストを目指す姉を交通事故で無くしつつも、まだ生存して世界で演奏活動を続けているフリをするメインの主人公のシナリオライター、それぞれが何らかの異常性とまでいわないとしても、心に闇を持っていて、真実を直視するところまでいかないようなケースが散見されるんですが、それをサブの主人公である映画監督が強力なパワーで切り開いていきます。出版社の宣伝文句では「救い」という言葉も強調されていますが、私が考えるキーワードは裁判と映画です。特に、前者の裁判については精神鑑定も含めての裁判です。映画はサブの主人公の映画監督だけでなく、映画好きの登場人物にも着目すべき、という趣旨です。何となく、イヤミスを連想させるキャラ、例えば、殺人事件の被害者となった虚言壁ある高校生をはじめとして、イヤなキャラクターの登場人物はいっぱいいるんですが、なぜか女性は美人が多くなっています。映画化を意識しているのかもしれません。映画化されたら、おそらく、私は見に行くような気がします。それはともかく、私は長らくこの作者のベストの代表作は、10年余り前のデビュー作『告白』だと感じて来ましたが、少し前の作品あたりからさすがに考えを変更しつつあり、本作品は新は代表作と見なしていいような気がします。

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最後に、秦野るり子『悩めるローマ法王 フランシスコの改革』(中公新書ラクレ) です。ちょっは私とほぼほぼ同年代で読売新聞のジャーナリストのご経験が長いようです。現在のフランシスコ教皇については、就任直後にはとても好意的な報道が多く、私もアルゼンティン出身、初めてのラテン余りか出身の教皇として大いに注目して来たんですが、最近では金銭スキャンダルや性的虐待の問題を背景に、教皇支持の主流派と反主流派の亀裂や混乱が生じているのも事実のようです。少し前に訪日を果たしたばかりでもあり、就任直後の「熱狂的」ともいえる高評価から少し時間を経て、現在のバチカンの真実を読んでみました。まず、私自身は仏教徒であり、浄土真宗の信者である門徒です。ただ、カトリックの南米チリで大使館勤務の経験があり、ムスリムが多数を占めるインドネシアの首都ジャカルタで一家4人で3年間生活した記憶もあります。それなりに多様な宗教に接してきたつもりです。ということで、私自身は今持って、フランシスコ教皇に関するノンフィクションの代表作はオースティン・アイヴァリー『教皇フランシスコ』(明石書店) であると考えており、2016年5月に私も読んでおり、このブログに読書感想文を残しています。本書では、その後の性的虐待問題、これも、ボストングローブ紙『スポットライト 世紀のスクープ』(竹書房) にとどめを刺しますが、何と、同じ2016年5月の『教皇フランシスコ』を取り上げた次の週に読書感想文を残した記憶があります。そういった読書から3年半を経過して、ちょっと新書判で取りまとめられているお手軽なノンフィクションを読んでみましたが、やっぱり、思わしくありませんでした。ほとんど何の収穫もなかった気がします。フランシスコ教皇ご出身のアルゼンティンのペロン政権について、かのポピュリストのペロンを「エビータの夫」的な紹介をするなんて、読者のレベルをどのように想定しているのか、なんとなく透けて見える気がしますし、会計ファーム・コンサルタント会社のPwCが Princewaterhouse というのも、タイプミスと見なすにはレベルが低すぎます。第8章のタイトル「中国市場を求めて」というのも、宗教活動を表現するにはいかがか、という気がしますし、全体的にかなりレベルが低いといわざるを得ません。
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